気づけば同じ祝日で心が乾く夜
気づいたらね、
同じ祝日が、
もう一度来ていたんだよ。
カレンダーの赤い日が、
前に見た場所とまったく同じでさ。
「え、もう?」って思うのに、
部屋の景色はそんなに変わってない。
テーブルの上には、
いつものマグカップ。
底に残ったコーヒーの輪っか。
ソファの端に置きっぱなしのクッション。
スマホの充電ケーブルだけが、
少しだけねじれてる。
窓の外は、祝日っぽい音がする。
家族の声、子どもの笑い、
遠くの車の音。
でも部屋の中は静かで、
時計の針だけが進んでいく。
何も起きていないみたいなのに、
手帳のページだけは
増えていく。
ページが増えるたびに、
インクの匂いが少し薄くなるみたいに、
「自分の人生なのに、
助手席にいる気がする」
って感覚だけが残る夜がある。
ハンドルを握ってるのは、
たしかに自分のはずなのに。
気づくと、流れのほうが強くて、
ウインカーも出さないまま
曲がってしまったみたいな日。
祝日がもう一度来た、ってことは。
その間に、平日も、夜も、
朝も、ちゃんとあったはずで。
なのに、記憶に残るのは
「同じ場所に座ってた感覚」だけ。
カップの取っ手を持ち直して、置き直して。
それだけの動きが、
今日はやけに大きく感じたりするんだよね。
決めきれない関係のまま、時間だけが過ぎていく日
たとえば、ひとつだけ具体的な悩みを。
彼との関係に、
はっきりした名前をつける話。
「ちゃんと向き合おう」って言葉が、
頭の中で何度も浮かんでは消える夜。
このままでいいのか。
それとも、一度立ち止まるのか。
続けるか、手放すか。
たった二択みたいに見えるのに、
気持ちはその手前で固まってしまう。
怠けてるわけじゃない。
逃げてるわけでもない。
むしろ、
考えてる時間のほうが
ずっと長いよね。
でもね、ここにも、
ちょっとだけ“構造”がある。
答えを言い切るんじゃなくて、
形だけ、一緒に眺めてみよう。
頭の中に並んでいるものを見てみる。
楽しかった日の記憶。
引っかかった一言。
会えない間に増えた不安。
友だちに話しかけて、
結局言葉を飲み込んだ夜。
それから、
「ちゃんと話さなきゃ」という思い。
この並びって、
ちゃんと向き合おうとしてきた人の心なんだよ。
止まってる心じゃない。
ただ、最後の一歩のところだけ、
空白が残っている心。
空白ができるときってね、
「嫌われたくない」だけじゃない。
もっと小さい、
でも手強いものが混ざってる。
たとえば――
関係をはっきりさせた瞬間に、
何かが“決まってしまう”感じ。
決まったら、
戻れない感じ。
戻れないと思うと、
胸の奥が、少し乾く感じ。
それに、
気持ちを言葉にすることは、
彼に伝えるだけじゃなくて、
未来の自分に
サインを入れるみたいに
感じてしまうことがある。
「はい、私はここに立ちます」って。
たった一度の会話なのにね。
ここで厄介なのが、
“人生の席”が
いつの間にか入れ替わること。
本当は、
自分の気持ちが運転席のはずなのに、
彼の温度とか、
関係の空気とか、
「この歳なら普通は」とか、
そういうものが前に座って、
自分は横で様子を見るだけになってしまう。
助手席って、
相手の表情がよく見える。
距離感もよく分かる。
だから余計に、
考えすぎてしまう。
「一番波風が立たない形」を
探してしまう。
でも、
その形を探せば探すほど、
気持ちは動かなくなる。
だって、
恋の最適解って、
最初から用意されていないから。
見つからないものを
探し続けているうちに、
心の中の飲み物だけが
少しずつ冷めていく。
ここまでの話も、
感情の名前はつけない。
名前をつけると、
すぐ“説明”になってしまうから。
今日は、
足元だけを見る人として、
ただ、
心の中に並んでいるものを
一緒に眺めていたい。
それでも、
ひとつだけ分かることがある。
「決められない」は、
心が弱いからじゃなくて、
心が、
これ以上傷つかないように
姿勢を低くしているサインのことがある。
守りって、悪者じゃない。
それはこれまで、
あなたを大切に扱ってきた
方法でもあるから。
ただ、
守りが長く続くと、
恋の座席は、
いつの間にか助手席になる。
そういう仕組みの中で、
今、あなたは立ち止まっているだけなんだよ。
占いで背中の荷物が軽い気がする

ここで、占いの話をしてみるね。
でも、占いを
“未来を当てる矢印”みたいには扱わない。
大きな答えも求めない。
今日のわたしは、
足元だけを見る人だから。
占いってね、
誰かにハンドルを渡すための
ものじゃない。
「代わりに決めて」って
差し出すための道具でもない。
むしろ、占いが役に立つのは、
“助手席にいる感じ”が強くなった夜。
車内に積みっぱなしだった荷物を、
いったん座席に下ろすみたいなときなんだよ。
たとえばさ。
背中のリュックを下ろして、
椅子に置く。
それだけで、
肩が少し動くようになるでしょう。
何も解決していなくても、
呼吸が深くなることがある。
占いは、その
「いったん下ろす」時間に近い。
言葉を借りて、
気持ちの形を整える時間。
カードでも、言葉でも、相槌でも、
やっていることは、
意外と似ている。
・今、いちばん重いのは何か
・どこで無理をしているのか
・どこが言葉にならず空いているのか
・今すぐ向き合うものと、
今日は触れなくていいものはどれか
未来を言い当てるより、
この仕分けのほうが、
あなたを助ける夜がある。
そしてね、ここが大事。
荷物を仕分けると、
運転席の足元が
少しだけ見えるようになる。
ブレーキが見える。
アクセルが見える。
“自分が触れられるもの”が、
戻ってくる。
それは、とても地味。
派手な奇跡じゃない。
でも、地味なものほど、
体を現実に戻してくれる。
たとえば、
彼との関係をどうするか、という迷い。
「続ける/離れる」の前に、
頭の中の言葉を
一行だけ書き換えてみる。
誰にも見せない前提で、
自分に向けた一文を整えてみる。
結論は出さない。
伝えることもしない。
ただ、
心の中の紙を一枚、
まっすぐに置き直すだけ。
占いで受け取る言葉って、
本当はその
「整える」感触を
くれることがある。
“進め”じゃなくて、
“ここが引っかかっている”
というほうの言葉。
ここまで来ると、
助手席にいたはずの人が、
運転席に戻る、というより――
運転席に
「自分の影」が戻ってくる感じになる。
まだ走り出さない。
まだスピードも出さない。
でも、
座り方が変わる。
背もたれの角度が変わる。
ミラーの位置が、少し変わる。
そのくらいで、
ちょうどいい夜が、
ちゃんとあるんだよ。
祝日の窓辺で指先が戻らない
最後はね。
行動の提案もしない。
意味づけもしない。
解釈もしない。
ただ、物だけ。
祝日の夕方。
窓辺の光が、床に細い線を作ってる。
テーブルの上に、開いたままの手帳。
赤い祝日の印が、今日の日付にある。
スマホの画面には、下書きのメール。
カーソルが点滅してる。
マグカップの底に、ぬるくなった一口。
スプーンの背に、光が一瞬だけ乗る。
鍵束が、小さく鳴る。
ドアは開かない。
でも、鍵はそこにある。
椅子の上のクッションのへこみが、
さっきより少し浅い。
誰もいないのに、
部屋がほんの少しだけ整って見える。
……それだけ。
帰り道、コンビニのホットカフェラテが、
ちゃんとあたたかかった。

