気づけば、同じ夜をもう一度迎えていた
気づいたらね、
同じ悩みを抱えたまま、
季節がひとつ過ぎていた。
って夜があるよね。
春に「もう少し考えよう」
って置いたままの気持ちが、
夏の終わりにもまだ机の上に残っていて、
風が冷たくなった頃に、
また同じ場所を指でなぞっている。
何か大きな事件があったわけじゃない。
仕事も、暮らしも、
表向きはちゃんと回ってる。
それなのに夜になると、
胸の奥だけが、じわっと疲れてる。
たとえば、好きな人とのやりとり。
既読はつくのに返事が来ない時間が長くなって、
「忙しいだけかな」って言い聞かせながら、
スマホを持つ手に、少しだけ力が入る。
後悔ってほどじゃない。
でも、納得もしていない。
その中間みたいな感覚が、
静かに、時間の上に重なっていくんだよね。
どうして止まったままになるのか
止まっているのはね、
怠けているからじゃないことが多い。
むしろ、ずっと考えてる。
考えすぎるくらい、考えてる。
「返事が来ないのは、わたしが重いから?」
「もう少し待てば変わる?」
「ここで聞いたら嫌われる?」
「でも聞かないままだと、何も進まない?」
頭の中に、こういう問いが何個も並ぶとさ、
どれかを選ぶたびに、
別の何かを捨てるみたいに感じることがある。
前に進むって、たぶん、
“何かを決める”ってことに近いでしょう。
でもその“決める”ってやつが、
怖い夜があるんだ。
もし、今はっきりさせて、
思ってたのと違う答えが返ってきたら。
そこで終わってしまったら。
それが怖いから、
「まだ決めない」という形で、心を守ってる。
それにね、もうひとつ。
自分の気持ちが、
どこまで本物か分からないときもある。
好きなのか、不安なのか。
会いたいのか、確かめたいのか。
寂しいだけなのか、ちゃんと大切にされたいのか。
この区別がつかない夜に、
無理に答えを出そうとすると、
余計に、心が乾くんだよね。
だから止まる。
止まることで、崩れないようにしてる。
ただね、現実も一行だけ置いておくね。
返事が来ない時間は、
こっちの想像だけを増やしてしまう。
増えた想像は、
やさしい顔をしていても、
心を削ることがある。
占いは、決めてもらう場所じゃなくていい

ここで、占いのことを少しだけ話てみよう。
占いってね、
未来を当てるためのもの、って思われやすい。
でも、夜の中で手が止まってる人にとっては、
それよりも先に必要なものがあるんだ。
それは、いま自分がどこに立ってるか、って感覚。
暗い道を歩くときって、
「正しい道はどれ?」より先に、
「わたし、いまどこにいる?」が分からなくなるでしょう。
占いは、道のゴールを決めるものじゃなくてもいい。
地図みたいに、
現在地をそっと照らすものでもいい。
「わたしは、本当は何を怖がってる?」
「相手の反応が怖いのか、
自分の気持ちが揺れるのが怖いのか」
「待つことで守ってるものは何?」
「聞くことで失うかもしれないものは何?」
こういう問いが、少しでも言葉になると、
不思議と、足元の感触が戻ってくることがある。
そしてね、ここが大事なんだけど、
現在地が分かると、
無理に進まなくてもいい夜が増える。
進まない夜は、
だめな夜じゃない。
ただ、見えていないものが多い夜なんだ。
占いは、その“見えていない”を、
少しだけ「見える」に寄せてくれることがある。
当たる外れるよりも、
自分の内側の輪郭が戻る感じ。
その輪郭が戻ったとき、
「後悔じゃないのに納得してない」って感覚の正体が、
少しだけ、触れるものになるんだよね。
決めるためじゃなく、確かめるために
だからね、今夜は、
何かを変えなくてもいい。
大きく動かなくてもいい。
ただ、ひとつだけ。
“確かめる”っていう小さなことをみてほしい。
スマホを見ながら、
自分にこう聞いてみる。
「わたしは、何を待ってる?」
「待つことで、守りたいものは何?」
「もし返事が今すぐ来たら、
わたしは安心する?
それとも別の不安が出る?」
「この関係を続けたい気持ちは、どこにある?」
答えは出さなくていい。
出さないままでも、問いは置ける。
夜を見ているとね、
空気って、言葉より先に本音を運んでくることがある。
いまのあなたの胸の奥にあるのは、後悔?
それとも、まだ言葉になっていない願い?
……ねえ、どっちだろう。

